F-4ファントムⅡの思い出

自衛隊の思い出
飛行開発実験団(ADTW)

航空自衛隊の保有するF-4EJ改戦闘機が、いよいよ2020年で完全に退役することになりました。

すでに2000年代中頃から順次退役が始まっていますが、いよいよ最後のF-4運用部隊“301飛行隊”も2020年度中にF-35Aに運用する機種を変更して三沢に移駐するようですね。

残されたF-4のうち、“世界で一番新しい機体”(F-4最終製造機)である440号機は静岡県浜松市の航空自衛隊浜松基地に隣接する航空自衛隊浜松広報館での展示のためにラストフライトを行い、残されたいくつかの機体もおそらく12月中にフライトを終え、解体や展示機としての改造を待つこととなります。

私は航空自衛隊でジェットエンジン整備員として長い事F-4の整備に携わってきましたが、エンジン整備員から見たF-4戦闘機の思い出を書き出してみたいと思います。

用途廃止寸前の機体とは言え機密事項がいくつもあるため、何でもかんでもかけるわけでもありませんのでレア情報を期待している方は悪しからず…。

Table of Contents

F-4ファントムⅡ

F-4の概要

Wikipediaより

私の思い出話の前に簡単にF-4戦闘機の説明をしておきましょう。

今では信じられない話ですが、当時の戦闘機は昼間戦闘機(晴天で視界の良い時に作戦行動が可能)や夜間戦闘機(悪天候時や視界の悪い時に作戦行動を行う)という風に区分されていました。

第2次世界大戦で実用化したレーダー技術が発展して小型化し、戦闘機サイズの比較的小型の飛行機にも装備が可能となると全天候戦闘機というジャンルが新たに生み出され、アメリカ海軍は艦隊防空のための新しい全天候型戦闘機の開発をメーカー各社に要求します。

アメリカ海軍からの要求を受け当時のダグラス社、グラマン社、マクダネル・ダグラス社が設計案を提出、紆余曲折を経てマクダネル・ダグラス提案の試作案が採用され、原型機となる“XF4H-1”の開発がスタートしました。

のちにF-4ファントムⅡと呼ばれることになる試作機は1958年5月27日に初飛行、各種テストの結果アメリカ海軍の艦隊防空用の戦闘機として採用されただけでなくアメリカ海兵隊やアメリカ空軍などでも採用され、1970年代のアメリカの同盟国にも販売や無償供与が行われました。

航空自衛隊での採用

日本ではF-86戦闘機とF-104戦闘機の後継を選ぶ“第2次FX計画”で“サーブ37ビゲン”、“ダッソー ミラージュF1”、“ロッキードCL-1010(F-104の双発近代化モデル)”を打ち破ってF-4ファントムⅡの採用が決定。

アメリカ空軍仕様のF-4Eには空中給油装置や核攻撃をするための爆撃計算装置が搭載されていたことから当時の社会党や共産党から批判されたため、日本独自の仕様としてこれらの装置を取り外したF-4EJが採用されることとなりました。

最初期に購入した2機についてはアメリカのセントルイスにあったマクダネル・ダグラスで生産された完成機を輸入していますが、同時期に部品のみを購入して日本国内で組み立てるノックダウン生産方式で11機を三菱重工で生産、その後は順次国産比率を高めながらライセンス生産に切り替えています。

完成機が航空自衛隊に引き渡されたのは1971年。

当時の実験航空隊(現在の飛行開発実験団)によって運用試験を行ってから航空自衛隊最初のF-4運用部隊となる第301飛行隊を編成、その後もF-4の増加に合わせる形で第302~306飛行隊の計6個飛行隊が編成されました。

艦載機がベースであるため陸上基地で運用するにはいささか大きな構造重量や、ベレンコ中尉事件で露呈したレーダー能力の不足など批判されることも多かったのですが、のちに電子機器をF-16A相当のものに更新したF-4EJ改を改造開発、一時は開発の遅れていたF-2配備までのつなぎとして支援戦闘(対地攻撃)任務も割り当てられるなど、マルチロールファイターとして航空自衛隊の防空の一翼を担う存在となりました。

2007年に発生した事故によりF-15とF-2が双方飛行停止となった時には、航空自衛隊でアラート待機できる戦闘機がF-4のみとなる珍事も起きています。

航空自衛隊ではF-4の派生モデルの偵察機RF-4Eも採用していますがこちらはすべて完成機の輸入で、計14機を購入。

RF-4Eは事故で2機が失われてしまったためF-4EJの内15機をRF-4EJに改造し、RF-4Eと合わせて偵察航空隊の第501飛行隊で運用していました。

RF-4Eは写真偵察に特化したタイプだったため武装できなかったのですが、RF-4EJは機種部分のバルカン砲や対空ミサイルの制御用の配線を残しているため偵察機ながら武装が可能であり、敵陣の強硬偵察や威力偵察のようなことも出来たとか。

RF-4EとRF-4EJはF-4EJ改より一足早く2020年3月にすべて退役しています。

機体の特徴

Wikipediaより

当時の艦載機としても大型の機体となったため、開発中のあだ名は『醜いアヒルの子』。

あまりに大きな機体だったため、F-86Fから機種転換した航空自衛隊のパイロットの中には『F-86Fが軽トラならF-4は大型ダンプみたいなもんだ』という人もいたそうです。

アメリカ海軍の開発要求が“4発の空対空ミサイルを積んで半径250海里(約460㎞)を2時間空中哨戒できる艦隊防空戦闘機”という当時としては若干無理のあるもので、この要求を達成するのに必要な『敵の飛行機を長距離で発見することが出来る大出力のレーダー』を搭載する必要があったため、機体規模が当時の艦載機としては大柄になってしまったとか。

当時のレーダーは現代のように半導体化が進んでおらず、搭載する機材は重く大きなものになるうえとてもパイロット一人で操縦しながら扱えるような代物ではなかったそうでパイロットと別にレーダー操作員(レーダー迎撃士官)を登場させる必要がありました。

基本的には操縦担当の前席とレーダ操作担当の後席に分かれていますが、アメリカ空軍仕様のF-4Eとこれをベースにした航空自衛隊仕様のF-4EJ/EJ改については後席からも操縦が可能です。

後席からはほぼ真上と真横しか見えないので操縦するのは結構大変だったんじゃないかな…。

実際のところは後席から操縦することはあまりなかったようで、後席にアサインされたパイロットはレーダー操作とナビゲーションに専念していたようですね。

航空自衛隊の場合は前席担当と後席担当は基本的には固定されておらず、フライトごとにどちらを担当するか決めていたようで、F-4のパイロットとしての訓練を受けて操縦のためのライセンスを持っていれば前後席どちらでもミッションが可能なんだそうで。

整備員から見たF-4

エンジン整備

Wikipediaより

ジェットエンジン整備員として私が初めて触った飛行機がF-4EJ。

当時はまだF-4EJからEJ改への改修中で飛行隊にはどちらも混在しているような感じでした。

EJとEJ改の違いは主にレーダーやアビオニクス(航空機用の電子機器)に関わる部分だったため、エンジン整備員としては特に両機の違いを意識することなく整備していましたね。

航空自衛隊のF-4に搭載されていたエンジンはジェネラルエレクトリックの開発したJ79-17というエンジンで、F-4の前任だったF-104に搭載されていたJ79-11の派生モデル。

J79エンジンはターボジェットエンジンという、飛行機に搭載するガスタービン機関の中でもかなりシンプルな構造でしたが、整備性はあまりよくありませんでしたね…。

1980年代ごろからエンジンの制御が高度に電子化されることになるんですがJ79は原型の開発が1950年代。

F-4EJ搭載のJ79-17は1960年代の開発でほとんど電子化されていないため、エンジン制御のパラメーターはガバナーやダイアフラムで取得して、リンケージやケーブルで制御装置にパラメーターを入力、制御装置では3Dカムを使って制御則を計算してエンジン各部にリンケージやケーブルで制御信号を送るという完全にアナログな制御方式。

Wikipediaより

定期的にエンジンを交換してオーバーホールする必要があり降ろしたエンジンの分解検査をすることもありましたが、このリンケージの部分の検査や再組み立てが結構面倒…。

再組み立て時の調整に失敗するとエンジン不調の原因となるうえ、リンケージ部分は機体で交換できません…。

結構職人的な勘やテクニックが要求されるうえ責任重大な仕事なのであまりやりたくはありませんでしたが、この作業をスムーズにこなせると一人前の整備員として認めてもらえるような感じでしたね。

オーバーホールしたエンジンはテストスタンドという施設で試運転をしたのちに機体に搭載されますが、この交換作業もまた大変。

Wikipediaより

狭いエンジンベイのギリギリにエンジンが収まるようになっているため余計なスペースがほとんど無いんですが、なぜか直接目視できないような奥まったところに電気系統の配線やコネクターがあるんですよ…。

なので腕を思いきり伸ばしてエンジンベイの空きスペースに肩まで手を突っ込み、コネクターの位置をイメージしながら想像でコネクタを締める必要がありました。

『そんな怪しげな締め方でいいの?』と思うかもしれませんが、腕一本がギリギリ入るスペースですよ?

流石にそんな状態では手ではまともに締められないのでコネクタ部分にゴム紐を引っ掛けてみたり、コネクタの緩み止めの針金を通す穴に糸を通してコネクタを回してみたりと、色々な裏技を駆使して締めこんでましたね。

締めこんだ後はコネクタの緩み止めに針金で安全線をかけて固定してしまうのですが、当然目視できないのでこの作業も自分の指と針金の位置関係を想像しながら…。

作業後に先輩に点検してもらって安全線が逆向きに巻いてあると指摘された時はショックだったなぁ…。

そういえば定期的に交換する必要のあるオイルフィルターとかも変なところにあって、これも直接目視しての交換は不可能なほど奥まったところにありました。

細身の日本人ですらこんな感じで苦労しているのにガタイの良いアメリカ兵は本当に整備してたんですかね?

今でも不思議に思います。

試運転

Wikipediaより

エンジンの燃料系統やオイル系統を整備した後は、それらの系統から燃料やオイルの漏れが無いことを確認するために地上試運転をする必要がありました。

整備後の試運転は基本的に整備を担当したエンジン整備員が行います。

現代の戦闘機には補助動力装置が搭載されているためエンジンスタートに必要な動力や電気を自力で得ることが出来るわけですが、F-4にはそんな気の利いた装備は搭載されていません。

エンジンをスタートするには起動車という車両が必要でした。

Wikipediaより

起動車は発電機とガスタービンエンジンを搭載しており、胴体下面左側のコネクタに発電機から伸びる電源ケーブルを取り付けて機体に電源を供給、機体下部に起動車の後ろにあるガスタービンから伸びているホースを取り付けてガスタービンで作り出した圧縮空気を送り込んでエンジンを始動するようになっています。

エンジンは1発づつでないと起動出来ません。

起動時には地上の作業員とコミュニケーションをとりながらのエンジン始動用のホースを付け替えてもらったり、スタート後には電源ケーブルを取り外してもらったり、エンジン始動後に不要になった起動車を移動してもらったりと、F-4は整備員一人ではエンジンが起動出来ないため試運転は結構な大仕事でしたね。

始動後の試験項目は整備内容や交換部品によって微妙に違うんですが、マニュアルには“○○交換後は試運転を行って漏洩点検をする”といった感じで具体的な試験内容が書かれていなかったりするため、エンジンのシステムや動きについての深い理解が必要でした。

例えば『オイル系統の○○の漏洩点検をする場合は、エンジンを掛けただけではオイルの圧力が加わらないので、回転数をn%まで上げてx秒以上保持する』みたいな?

試運転のための部内資格を取ったばかりの頃はシステムの理解が浅かったため、試験に時間がかかりすぎて機内の燃料だけでなく主翼にぶら下げた燃料タンクの燃料まで使い切ってしまったこともありましたね…。

試運転だけで数百万円分の燃料使ってしまい地上で全体を指揮監督している分隊長に怒られ、初めの頃は脂汗と冷や汗で毎回汗だくになって試運転をしていました。

試運転は大変でしたが、航空自衛隊でも飛行機のコクピットに座ってエンジンの始動や操作が出来るのは、パイロットとAPG、エンジン整備員だけなので、かなり貴重な体験ができたと思っています。

武器の搭載

Wikipediaより

戦闘機への武器の搭載は基本的には武器弾薬整備員、通称アーマメントが行いますが、戦闘航空団に所属する航空機関係の整備員は非常事態に備えて全員が保有している戦闘機へのミサイルや機関砲弾の搭載が出来るように訓練を受け、年に何度かの慣熟訓練と、演習や検閲での抜き打ちの搭載訓練でその手順や安全性について評価を受けます。

搭載するのはAIM-7通称“スパロー”という中距離空対空ミサイルとAIM-9通称“サイドワインダー”または国産のAAM-3という短距離空対空ミサイルに、20㎜機関砲の砲弾。

Wikipediaより

一通り訓練を受けているので全員どの武装でも搭載できるようになりますが結構人によって得手不得手や好みがあり、特に20㎜機関砲は面倒な上に時間がかかるのでみんなやりたがりませんでしたね…。

20㎜機関砲の弾薬庫に弾を装填するのにどうしても時間がかかるんですが、これがどれだけ上手い人が手際よくやっても訓練終わったばっかりの人が慌ててやっても大して時間が変わらない。

さらに手順が多く複雑なうえ手順を間違えると機関砲弾搭載中に暴発の危険があるというのも不人気だった理由の一つでしょうね。

個人的には自分のペースで出来たので率先して20㎜の搭載をやってましたが周りからは変な目で見られてました。

逆に一番簡単だったのがサイドワインダーとAAM-3の短距離空対空ミサイル。

4人がかりでミサイルを抱えて主翼の下面にあるミサイルランチャーに搭載するんですが、ミサイルランチャーが大体腰くらいの位置にあるため搭載しやすいのと、4人であればそこまで重い物でもないため比較的簡単かつ短時間で搭載できました。

スパローはさすがに人力で搭載できないので“バッタ”と呼ばれるジャッキ付きの台車で胴体下面のランチャーに搭載します。

スパローは半分機体に埋め込むような形で搭載するためエンジンと同じく取り付けに余裕がないし、ランチャーのロック機構が狭いところにあるので目視がしづらい…。

ロック機構の位置合わせもシビアで、台車の位置を調整しながら上下左右にミサイルを動かしてミリ単位でミサイルとランチャーの位置合わせをする必要がありました。

中途半端にロックすると何かのはずみでミサイルが落ちてくるのでロック担当は責任重大です。

幸い私が担当した時に落としたことはありませんが、過去には何回か脱落事故が起きているそうで…。

異動や組織改編でF-15へのミサイル搭載をやったこともありますが、同じミサイルを積むにしてもF-15は拍子抜けするくらいに簡単でびっくりしました。

F-15の方が洗練されている、というかF-4の兵装関連の設計がかなり無理やりだったんでしょうね…。

まとめ

航空自衛隊にF-4戦闘機が配備されてから約50年。

紆余曲折のあった後継機問題もようやく解決してついに航空自衛隊での運用も終了します。

搭載するエンジンは信頼性が高かったものの機体に搭載した時の整備性は劣悪で、狭いところに腕を突っ込んで指先の動きを想像しながら作業したり、システムの動きを想像しながらの整備が必要であったりと、整備員を鍛えるための飛行機だったような気がします。

F-4に鍛えられて整備員として成長してきた身としては寂しい気持ちが無いわけではありませんが、正直あんな整備性の悪い飛行機は危ないから1日も早く退役したほうが良いと思ってたりして。

懐かしさもありますが、もう頼まれても触りたくないというのが本音ですかね…。

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