浜松市郊外をバイクで流す

ツーリング

浜松の街中から、浜松の小中学生には林間学校や宿泊研修でお馴染みの“かわな野外活動センター”までバイクで行ってみようというシリーズ。

第2回目は国道257号の“元追分”交差点の当たりからスタートして

北区引佐町金指まで走ります。

ただ走ってるだけの動画と画像見ても面白くないと思うので、今回もルートにまつわる歴史や伝承、トリビアなんかを紹介していきたいと思います。

○○街道

前回に引きつづき、今回も国道257号線を北上してきますが、元追分の交差点から先は姫街道ではなく金指街道になります。昔の宿場町を訪ねて歩いたり、旧街道を旅する人がたまにいたりしますが、ここで道なりに直進すると違う場所に行ってしまうので気を付けないといけませんね。まぁ最近はネットで調べることが出来るので間違えることもないか…。

どこの土地でもそうですけど、地元の人たちはあまり国道や県道の番号を言わないですよね。

国道257号の場合は

・国道1号浜名バイパスとの交点~浜松市中区:東海道

・浜松市中区~初生あたり:姫街道

・初生あたり~金指あたり:金指街道

という感じで呼び分けてます。

金指街道より北にも257号線は続くのですが、この辺りは田舎すぎて他に目立つ道が無いので単純に『国道』と呼ばれてます…。

三方ヶ原の戦い

歴史好きの人には「三方ヶ原の戦い」で有名な三方原、行政区分上は『浜松市北区三方原町』として区画が設定されています。

恐らく三方ヶ原の合戦はこの辺りで起こったんだと思われますが、古戦場跡の石碑は三方原町内にはなく、隣の根洗(ねあらい)町の三方原墓園の前にあったりして…。まぁ三方原台地のあちこちで散発的に戦いが繰り広げられていたんで、どこが古戦場跡として適当かといわれると難しいところでしょうけどね…。

ちなみに現在は三方原馬鈴薯が有名らしいですね。あまりに有名すぎて地元で食べられない名物No.1!というか地元にほとんど流通していないので、旅行先のお店やTVの特集を見て初めて全国的に有名だってことを知りました。

三方原

今でこそ浜松中心市街地で働く人のベッドタウンになっていたり、ジャガイモ栽培で全国的に有名な三方原ですが、実は今のように人が定住し始めたのは割と最近の話で、太平洋戦争後に満州から引き揚げた人たちが本格的に開拓を始めるまでは一部を軍用地として利用(飛行第7連隊や高射砲第1連隊など)するのみで、人が住んだり畑を作るのには向かない痩せた赤土が広がる荒涼とした土地だったとか…。

三方原が長く放置されていた理由の一つが水の問題で、元々天竜川の扇状地だったところが隆起してできた三方原台地は水が少なかったため、農業どころか生活するにも不向きな土地だったようです。引揚者の開拓団が入植してしばらく経つ1950年代からは農業用水の開発が進み、1960年代には天竜川の秋葉ダムを水源とする三方原用水が完成。ここから本格的に農地の開発が進むと同時に、三方原用水とは別に浜松市の上水道の整備も進んだため、浜松の市街地や郊外の工場で働く人たちのベッドタウンへと変わっていきました。

ちなみにタイピングするときは“ミカタハラ”と打たないと変換できませんが、口語では“ミカタバラ”と若干訛ってます。正確には“ミカタバラ”だったと思うんですが、ふりがなの表記ゆれが酷いんで何が何やら…。

アプリ開発に集中したいならロリポップ!マネージドクラウド

軽便鉄道

今回の動画のゴール近くにあるコンクリート製の謎の遺構は、昔この辺りを走っていた『遠州鉄道奥山線」の高架跡。奥山線は浜松ー奥山間を結んでいた軽便鉄道で、1964年に全線廃線となった後も遺構があちこちに今も残り、一部は遊歩道やサイクリングロードになっていたり、モニュメントが設置されていたりするので、軽便鉄道跡を巡る旅なんてのも面白いかもしれませんね。

この高架はさすがにもう使われていませんが、高架の下を走る路線は今も現役です。高架が架けられた当時は国鉄二俣線でしたが、国鉄の分割民営化後に第3セクターの天竜浜名湖鉄道(天浜線)として生まれ変わり、現在も地元民や観光客の足として運行中です。天竜浜名湖鉄道金指駅ー岡地駅の間にあるので、天浜線の車窓からこの高架を見るというのも面白いかも?

というわけで今回はここまで!だんだん沿線の風景が寂しくなってきますが、まぁいつも通りじゃないですかwむしろまだまだ賑やかなほうかな?

次回は金指から国道257号線を北上し、井伊谷を経由して県道68号線のおおだ峠のあたりまで行きます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました