浜松市内をバイクでウロウロ

ツーリング

いつもバイクで人通りがほとんどない、寂しげで、誰も知らないような道ばかり走ってますが、たまには趣を変えて街中にやってきました。

これから何回かに分けて浜松市民にはおなじみの宿泊研修施設“かわな野外活動センター”に行く道中を紹介しようってことで、今回は国道152号線の浜松市役所前の交差点から、国道257号を北上して初生(はつおい)まで走ります。結局最後は山の中を走るんですが、400Xで街中走ってもそんなに面白くないですからね…。それとだた走るだけの動画や写真見ても面白くないと思うので、今回はルート上に伝わる伝承や歴史について触れてみたいと思います。

姫街道(本坂通り)

市役所脇の坂道を登り切ったあたりで国道257号に合流しますが、地元の人たちはこの道を昔から姫街道と呼んでいます。

出典:Wikipedia

姫街道は浜名湖北側の本坂峠を経由して磐田の見附宿と豊橋の御油宿を結ぶ街道で、元々は東海道の本道だったそうです。浜名湖南側の街道が整備されてそちらが東海道とされると、峠越えの険しい道のりである旧東海道の利用者が減り、いつしかこの道は東海道に付属する街道となったそうです。

姫街道と呼ばれるようになった由来は『女性が浜名湖南部の今切(いまぎれ)の渡しを通行するのを嫌がったため(海が荒れやすく危険だった事と、新居関所の女性に対する取り締まりが厳しかったため)』とか『東海道本道と比べると細い道だったため(昔から小さいものに“姫”と名付ける慣習があった)』とか『古いことを意味する“ヒネ”がなまって“ヒメ”となった』などなど、諸説ありますがコレといった定説は無いみたいですね…。ただ、江戸中期あたりから姫街道の気賀関所を通行する女性が増えだしたという資料があるそうなので、何らかの理由で当時の女性が東海道の通行を嫌がっていたということは間違いなさそうですね。

布橋(ぬのはし)と遠州大念仏

徳川家康が武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いで、家康は信玄に敗れ三方原から浜松城へ敗走します。その後武田の軍勢に一矢報いようと奇襲をかけて犀ヶ崖の戦いが勃発するわけですが、この時犀ヶ崖に布で作った橋を渡し、武田の軍勢をこの橋に追い込んで橋もろとも崖から落としたことから、それ以来この辺りは布橋と呼ばれています。

崖に追い落とされた武田の怨念から犀ヶ崖からは夜な夜なうめき声が聞こえていたそうで、この霊たちを弔うために宗円という僧侶が始めたのが遠州大念仏と呼ばれる、この地方に伝わる盂蘭盆の風習です。

浜松市HPより

遠州大念仏は現在も浜松市内の布橋周辺の地区や浜北区、天竜区、天竜川を渡った磐田北部や周智郡などで毎年行われる伝統行事で、昭和初期あたりまでは各町内会で組を作って町内の初盆の家を周っていたようです。太平洋戦争中に大念仏で使う真鍮製の巨大な鉦(かね)の供出があったため、戦中と戦後しばらくの時期に大念仏をやめてしまう町内会が増え、今では浜松市民(特に南部の住民)にもあまり知られていない伝統行事となってしまいました。

発祥の地でもある犀ヶ崖には遠州大念仏資料館があるので、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか?

静大工学部

1926年12月25日、静岡大学工学部の前身にあたる浜松高等工業学校で、日本で初めてのブラウン管による電子式テレビの受像に成功します。当時のテレビのレプリカはNHK放送博物館や浜松駅東の浜松科学館に展示されていたり、たまに何かの特番やクイズ番組で取り上げられたりもするので意外と見たことがある人もいるかもしれませんね。

静大工学部にはこの日本初のテレビを開発した高柳健次郎の功績をたたえる『静岡大学高柳記念未来技術創造館』があり、高柳健次郎の業績の一部が収蔵・展示されているほか、IEEEマイルストーンの銘板、胸像が展示されているそうです。

一般公開もされているそうですが、新型コロナの影響で色々と制限されているようです…。開館・公開スケジュールなどは静岡大学高柳記念未来技術創造館のHPで確認してください。

銭取(ぜにとり)

“三方ヶ原の戦いに敗れた家康が浜松城に戻る道中で休憩したといわれる茶店があったとされる土地が“小豆餅”、家康とその一行は小豆餅を食べてる途中に武田の軍勢に見つかって食い逃げしましたが、茶店の婆さんに追いかけられて捕まったのが“銭取”という地名の由来”だと地元では言われていますが…。

実際のところはこの辺りでよく山賊・野盗に出くわして追いはぎに会うことが多かったからだそうですね。

今でこそ三方原は住宅地となっていますが、太平洋戦争直後までは水源の無い大地だったため人がほとんど住めないような土地で、三方ヶ原の戦いの頃には茶店どころか民家すらなかったそうで…。

現在は銭取という地名はバス停として残っていますが、行政区分上の地名としては残っていません。

小豆餅

今回のルート上ではありませんが、銭取の話をしたら小豆餅の話もしないと。

“敗走する徳川家康が休憩して茶店で食べた小豆餅をいたく気に入り、この辺りの土地を“小豆餅”と命名した”と地元では伝えられていますが、当時この辺りには茶店どころか民家も無かったのでこの言い伝えは嘘…。

実際は三方ヶ原の戦いの戦没者を供養するために小豆餅をお供えしたことが由来だそうです。

こちらは銭取と違い小豆餅1~4丁目まで地名として残っています。

御菓子司 あおい

『銭取』と『小豆餅』という地名にちなんだお菓子を販売しているのが、今回のルート上にある『御菓子司 あおい』です。

御菓子司 あおいHPより

あんこを包んだ餅にきな粉をまぶしたのが『小豆餅』、小判をイメージした黄身餡の入ったマドレーヌが『銭取』です。

地元なんで地名にちなんだお菓子があるのは知ってましたけど、実はこの記事書くまで食べたことどころか見たことすらなかったりして…。どっちも美味そうなんで近いうちに食べに行ってきます。

御菓子司 あおいはネット通販にも対応してるので、お取り寄せしてみてはいかがでしょうか?

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初生(はつおい)

ここで国道257号と静岡県道261号と交差します。ややこしいのがここから先の257号は金指街道、261号が姫街道となるので、『姫街道を全線走破する!』ってなことをする時には気を付けましょう。

今回はここまで!

次回は国道257号線を直進して金指街道の終点、金指に向かいます。

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