浜松の観光地巡り:三岳山山頂と三岳城跡

登山・山登り

バイクで三嶽神社まで来たついでに三岳山の山頂にある三岳城跡まで行ってみました。

麓の町から三岳山までのルートはこちらから↓

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三岳山

三岳山は静岡県浜松市北区引佐町にある山で、名前の由来は3つに連なった山の形からだったような気がしますが、どうだったかな?

三嶽神社の記事でも触れていますが、南北朝時代に三岳山のある井伊谷一帯を治めていた井伊氏は領地防衛のため三岳山の山頂に一の城(本丸)、山頂の東にある峰に二の城(二の丸)、現在の三嶽神社の境内に三の城(出丸)を築き、井伊領防衛のための拠点にしていたようで、今でも三岳山の山頂や麓には三岳城の遺構が残っています。

この三岳山、標高466mと別段高い山というわけではないんですが、井伊谷地区に1つだけ飛び出たような山なので南側には視界を遮るものが無く、山頂から浜松の市街地の他、東は掛川、西は細江、浜名湖までが一望できます。

三岳山の山頂へ

三岳山山頂への登山道は御岳山中腹の三嶽神社の境内にあります。

その場のノリで『せっかく来たんだからちょっと寄っていくか』なんて感じで行ってみましたが、後から後悔することに…

登山口からしばらくは細いながらもなだらかで登りやすい山道が続きます。

この日は天気が良かったので、私の他にも三岳山に登る人が何人かいるようです。

これくらいの山道なら軽いハイキングくらいの感じで気楽に登れますよね。

緑に囲まれて空気が綺麗だし、木漏れ日が作り出す陰影がSNS映えしそうな感じ。

コンクリートや石畳で舗装されているわけではなく、地山がむき出しになっているため、場所によっては山から露出した岩に苔が生えている場所もあり、滑りやすいので山頂に向かう時は登山用とまでは言わないまでも、せめてスニーカーのような靴で登ったほうが良さそうですね。

登山道の途中には開けた場所があります。

三岳城があった頃にはここに門か何かがあったんでしょうね。

さっきの開けた場所を通り過ぎると急に道が悪くなってきました…。

この辺りから傾斜のキツさと足場の悪さでかなり登りづらくなってきます。

後半は全く登山道が整備されていないので、涸れ沢や獣道を登山道にしているような感じですかね?

多分三岳城があった頃からこんな感じだったんだろうなぁ。

登ってきたところを上から見下ろしてみると結構な急斜面だったことを実感しますね。スキーだったらビビッて滑るのを躊躇うレベルの傾斜だ…。

ここいらでノリで三岳山を登り始めたことを後悔し始めました。

登るのは良いけど、これ帰るほうが大変じゃない?

登る前はこんな緩い感じの登山道だと思ってたんだけどなぁ…。

三岳城跡(山頂)と二の城へのルートの分岐点までやってきました。

二の城は三岳山から井伊領の北側を監視するための拠点だったそうで、三岳山の稜線伝いに東側の峰に歩いたところにあります。

ここまで来たからには二の城跡にも行ってみたいところですが、まずは山頂へ。

またしても急な山道を登り…ってもう道じゃないですよね、これ…。

『道じゃない』っていうか『道が無い』んですよ…。

頂上付近に大きな岩が有るんですが、右に見える登山道らしき獣道を進むと山頂にはたどり着けません。

左に見える木の間を進み、岩の右側を進むと山頂に行けるんですが、案内看板が無いので最後の最後で迷う所でした…。

岩の右を抜けると山頂迄あと少し。

三岳山山頂、三岳城跡に到着!

この日は小さい子供を連れた家族が何組かいましたが、幼稚園や小学校低学年くらいの子供を連れてくるのは大変でしょうね…。

登ってる途中で飽きて駄々こねだしそうですけど、意外と面白がってどんどん先に進んじゃうのかな?

頂上からは東は袋井から西は浜名湖までを一望できます。

三岳城は一般にイメージするような城郭ではなく砦だったらしいので、おそらく山頂に物見櫓のようなものが建てられていたんだと思いますが、砦の上からだともっと遠くまで見渡すことが出来たんでしょうね。

確かにここからなら井伊領だけでなく周辺の勢力を監視することが出来ます。

南北朝時代に井伊道政によって築城された三岳城は戦国時代まで井伊氏の拠点とされてきましたが、1513年に駿河今川氏との戦いに敗れて落城、その後は甲斐武田氏が今川氏を打ち破り、三岳山に砦を築いて徳川氏の動向を監視していたなんて話を聞いたことがありますが、果たしてどこまで本当の事やら?

まぁ、三岳山からは遠州地方一帯を監視できますし、山頂に至る道のりが厳しいので三岳山一帯に陣地を築かれるとそうそう簡単には落とせないでしょうしね。

戦略上の優位性から三岳山を支配下に入れておきたいというのもわからないでもない話です。

ここまでは『遠州地方を北から攻める』という視点ですが、逆に『遠州地方を守る』という視点で考えると、三岳山を含めた井伊谷周辺の山々は遠州平野の北の防壁ともなるので、もしかしたら記録に残らないような小競り合いが三岳城落城後も幾度となく繰り広げられていたのかもしれません。

ただ、三岳城の遺構がほとんど残っていない所を見ると、1523年の落城以降はここに恒久的な建築物を建てることもなく、現代風に言えば簡易的な監視哨を建てた程度で、本格的な拠点となることは無かったんじゃないでしょうか?

戦国時代に思いを馳せるのもほどほどにしてそろそろ下山します。

お弁当持ってきてここで食べるのもいいかもしれませんけど、あいにく思い付きで登ってきてるんで頂上に来ても特にやることもないんですよね…。

頂上からの景色も満喫できたので次は三岳城二の城跡に行ってみたいと思います。

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